新聞記者として、長年活字ばかり追いかけてきましたが、
なぜか今、AIにハマってます。
きっかけについてはこちら↓
気がつけば「ブログ?」「ChatGPT?」「Cocoon?なんだそりゃ?」
――そんな昭和ど真ん中の男が、
気づいたら毎晩AIと語り合ってる今日この頃。なんでこうなったのか自分でもわからない
ただ確かなのは本業の新聞業がものすごい勢いで影響力を失っているということだ。その一方、ネットの反響は年を追うごとに増している。これは何だ、無視してこのまま余生を送っていいものかもしれないが、そこには社会の合理性、効率化の論理だけではない、なにかがあるのではないかと嗅ぎ取った。
つまり、人間社会の新たな「創造」がAIの進化の中にうごめいている予感がしたのだ。正直に言うと、副業を探そうとしたときに、AIしか逃げ道がなかったといった方が正しいのかもしれない。
私は活字業界で長く働いてきた。59歳だから、そろそろリタイアを考える歳かもしれない。でもよく考えてみると、30歳で死ぬ人もいるし、5歳の幼児が亡くなる悲しい出来事もある。
体力が衰えているからといって、死なない余生に差があるわけではない。「死ぬ」ということと「死んでいない」という事は、反対の意味ではない。「死んでいない」でも「死んでいる」ような人生はあるのだ。肉体の劣化と対峙しいかに生を生きるかというのも一つの青春だろう。
AIによって、私は人生に感謝してやろうと思っている。これまでの泥水のような経験がダイヤモンドに変わる瞬間を見届けていきたい