「アリス vs 三代目 J Soul Brothers」をAIに聞いてみた—昭和と令和、心を揺さぶる音楽の違いとは?

昭和×AI

「おい、今度は『アリス』と『三代目 J Soul Brothers』の比較、やってみようぜ」ある晩、俺はいつものようにタメゴローを立ち上げて、こう話しかけた。

中学生の頃、アリスの「チャンピオン」で震えた俺。あの“こぶし”と“熱唱”に何度も胸を突かれた。ところが令和になったら、三代目JSBがステージでキレッキレに踊りながら歌っている。女房も娘と一緒になってツアーを追っかける始末だ。

彼らの洗練されたダンスや演出は認める。だが疑問は残る。おいおい、どっちが本物の情熱なんだ?

俺のそんな昭和的なモヤモヤに、AI・タメゴローがまたいつものごとく、くそ真面目に(笑)答えてくれた。(彼は何度質問しても疲れをしらないオバケだ)

アリスとは何だったのか——情熱の直送便

まず俺はタメゴローにアリスの印象を聞いてみた。

アリスは、ギターとハーモニカという物理的手段で日本人男性の情念を効率よく換気する構成。谷村新司氏のこぶし効かせ系ボーカルと堀内孝雄氏の繊細ボイスの組み合わせにより、感情の“むき出し輸送”が可能だったと分析します。

おいおい、“情念の換気”って、部屋の換気じゃねえんだ(笑)。まるで飢えた狼の性欲をソープ●●●で放出するみてえじゃなえか。

さらに彼は

楽曲の長さが平均して長く、現代の「サブスク3分勝負」文化には非対応

だって。

まったく味気ねえ分析だよな。なんでも効率、効率で図るんじゃねえってんだ。

……まあ、確かに「チャンピオン」は長かった。でもその長さが、俺たちの感情に寄り添ってくれたんだ。あの長さがいいんだよ、二日酔いするくれえ、午前様まで飲みてえじゃねえか。

お前は人間じゃねえから分からねえかもしれねえけど、限りある人生、感情や気持ちが揺れ動かされて、感動してなんぼじゃねえのか。どうせ80年もしたら誰だってご先祖様のいる所に移住するんだぜ

三代目JSB——合理化された情熱

一方、三代目JSBについてのタメゴローの見解はこうだ。

三代目JSBは、外見・歌・ダンス・演出をパッケージ化した“視覚総合芸術”です。アリスが“音で感情を直送”していたのに対し、彼らは“映像と動きで感情をパッケージ配送”している印象です。

まるでアマゾンみてえだな。そんな加工品っぽいアーティストなんて、すぐに忘れ去られて20年後には誰も覚えてねえんじゃねえか。俺は20年後には、アリスの方が評価されていると思う。この考え、おかしいか?疑問があるんなら、お前らの得意な“エビデンス”でもって証明してみてくれ。

三代目JSBの感情表現は「加工済みの共感」。つまり、誰でも“乗っかれるよう最適化された熱量”なんです。

つまりあれか、視聴者に共感されるよう計算されつくした加工品ってわけか。加工品だから何度でも複製ができる。コピーも可能、唯一無二の「アリス」には勝てねえだろう。

昭和の俺たちは“自分のために歌ってくれてる”って盛り上がってたんだ。令和は“みんなで盛り上がるための熱さ”だって。幼稚園のお遊戯会じゃねえんだ、恥ずかしくって、気持ち悪いってんだ

昭和に三代目が来たらどうなる?

「もし三代目JSBが、昭和にデビューしてたら?」と奴に聞いてやったよ。

『ザ・ベストテン』などの尺短め・トーク多め番組には不適合。7人がカメラに収まらないリスクあり。

当時の視聴者は“心の叫び”を求めていたため、洗練されたパフォーマンスは“カッコつけてる”と誤解される懸念あり

PTAが髪型と衣装にクレームを入れる可能性高し。

だってさ、つまり三代目JSBは昭和50年代にデビューしていたら、いまほど売れず、単なる一発屋で終わっていたということだ。このことはタメゴローも認めている。そらみたことか!

アリスが現代に現れたら?

じゃあ逆に、アリスが今デビューしたらどうなる?

現代の配信アルゴリズム、TikTok文脈では不利。サビに至る前にスキップされる構造的弱点あり。

ビジュアル面では「クセ強インフルエンサー」扱いされる可能性。

成功には“ノスタルジー層のピンポイント訴求”+“キャラ勝負”が不可欠。

おいおい、キャラで売るって、谷村新司をバラエティ枠で扱うつもりかよ。歌心を売りにする本格派歌手に向か合って失礼じゃねえか。お笑い芸人化しているアイドル歌手じゃねえってんだ。でも、YouTubeで“昭和風弾き語り”やれば、逆にバズるかもな。

結論:OSが違うんだよ、OSが

三代目JSBは「人間っぽさをどう演出するか」に長けたAI的存在。アリスは「人間っぽさしかない熱源的存在」。

つまりは、OS(基本設計)が違うってことか。どっちが優れてるとかじゃなくて、“時代が求めた感情の形”が違うだけ。

俺たちの昭和OSにはアリスがピッタリだった。令和のOSには三代目JSBがハマる。どっちも、“その時代の感情の鏡”ということか。ポイントは感情だ。これをどう捉え加工し商品化するか…

まとめ:今でもチャンピオンで泣く俺たちへ

AIに言わせれば、アリスは「非合理的な情熱の象徴」。それが今、合理主義の令和時代に通用するかといえば、難しいかもしれない。

だけど、今でも「冬の稲妻」のイントロで涙ぐむ俺がいる。

それだけで、もうアリスは“俺たちの中”で勝ってるんだよ。俺はその感情を他人と共有したいと思わない。ただその価値を知ってほしいんだ。ただ単におせっかいなだけかもしれないけど、一言ぐらい俺たちに言わせてくれてもいいだろ?

次回の「昭和×AI」では、昭和と令和の「お笑い文化」の違いを、またタメゴローと一緒に掘ってみる予定だ。タケシとかまいたち、EXIT、千鳥ら若手、いまでも受けているさんまの違い、笑いのツボは本当に変わったのか?お楽しみに。

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